総合病院の元副院長兼、看護部長さんにマコモを飲んでいる理由を聞いてみた

 

こんにちは。阿部です。

今回は、医療業界で活躍中の勝原裕美子さんに、マコモを愛用している理由を聞いてみました。勝原さんは、特に看護師さんの中で超有名な方とのことです。楽しみですね。

 

 

 

勝原さんのプロフィール

 

プロフィール

同志社大学文学部英文学科卒業後、京阪百貨店に就職。早々に頭角を現し、売り場主任となったが、退職して聖路加国際大学に進学し、看護師を目指す。卒業後は、国立循環器病研究センター病院で看護師として勤務 。
その後は、看護師の経験と、持ち前の英語力を活かして、兵庫県立大学看護学部看護システム学の助教授として活躍。大学に13年勤めたのち、聖隷浜松病院副院長兼、総看護部長として9年間歴任。
現在は、オフィスKATSUHARA を立ち上げ、複数の医療機関の顧問や、講演、研修講師として活躍中。数年前から「勝原私塾」も開講し、看護師を中心に医療現場の様々な課題解決を指導している。『組織で生きる』など著書多数。

 

 

 

勝原さんのこれまでの取り組み

 

―   大学卒業後、一度社会に出てから看護師を目指したんですね。

そうですね。非常に珍しい経歴とよく言われます。最初に就職した百貨店の仕事もとてもやりがいがある仕事でしたが、祖母の病気をキッカケに、看護の大切さを強く感じるようになり、百貨店を退職して、看護師を目指しました。

 

― 看護師になられてからの活動を教えてください。

看護師として、目の前の患者さんに向き合う現場の仕事はとてもやりがいがありました。しかし、同僚の看護師たちが心身ともに疲弊していることに疑問を持つようになったんです。
みんな看護師としての仕事にやりがいを感じているはずなのに、なぜこんなことが起こっているのだろうか? 色々考えた結果、看護師には可視化できる評価がなかったことが原因だと思いました。
医者は、手術の成功率や、患者さんの回復率などが成績になります。しかし、当時の看護師は、「優しかった」とか「笑顔がよかった」など可視化できる評価がありませんでした。なので、まずは、「現場の可視化」をすることが大切なのではないか? と思うようになりました。

看護師の殆どが、新卒で初めて働く職場が病院です。その為、何も疑問を感じず、現場で一生懸命働いて、疲弊していたのです。私がこのようなことに気づいたのも、一度、百貨店という他の職場を経験していたからだと思っています。

また、有給休暇を申請したら、「患者さんは、24時間対応なんだから、勝手に有給を出すな!」と上司から怒られますし、休日出勤になることも多々ありました。このような過酷な労働環境のため、離職率はとても高かったです。

看護の仕事はとても素晴らしいものだと思います。しかし、多くの患者さんを救うには、まず看護師を救わないといけないと思うようになりました。

 

― そして、看護大学に転職されたんですね。

そうですね。当時、関西に初めて看護システム学という学科の大学が設立される計画がありました。看護システム学とは、マクロ的には医療経済や政治。ミクロ的には、看護師のストレスマネジメントや、モチベーション管理など、看護現場の様々な課題に取り組む学問です。これはまさに私が求めていたものでした。

そして、看護システム学の最先端に携わっているアメリカ人の教授が、「英語が堪能で、看護の現場経験がある助手」を探していました。条件としてちょうど私が適任と、お世話になっている先生からご紹介を頂き、転職することになりました。

そして、兵庫県立大学看護学部看護システム学の助教授として、13年間勤めました。

 

― その後、さらに転機が訪れ、大病院の副院長になるんですね。

そうなんです。聖隷浜松病院の看護部長に何度も口説かれていましたが、現場経験が少ない私が、副院長兼、看護部長として部下1000人のトップに立つのは自信がなかったので、お断りをしていました。
私自身も、翌年に助教授から教授になる話があったので、私は大学教授として看護現場に貢献できれば良いかなと思っていました。

しかし、聖隷浜松病院を見学させて頂いた時、看護部長と現場の方々から、「これからは変化する医療環境に柔軟に対応できる人材育成が求められており、そのためには、外の世界を知っている勝原さんのような人が必要だ」 と言われ、みなさんの熱意に負けて一緒に働くことになりました。関西出身の私にとって、浜松は、縁もゆかりもない土地です。まさか浜松で働くなんて、私自身も驚きでしたね。

聖隷浜松病院では、多くの部下を指導しながら、「看護現場の可視化」に取り組みました。結局、9年間勤めることになりましたが、部下たちの協力もあり、看護の現場の様々な課題を改善できたと思っています。そして、仕事を任せられる部下たちも育ってきたので、後任にゆずって、私は第一線から退くことにしました。

 

 

 

勝原さんの現在の活動

 

― 現在は、独立して活動されているんですね。

そうですね。聖隷浜松病院を退職後に、オフィスKATSUHARA を立ち上げました。在職中も講演会などには呼ばれていたのですが、これまでの経験を活かして、病院の顧問や、コンサルティング、コーチング、研修講師など幅広く活動しています。

 

― 数年前から私塾も開いているようですね。

そうですね。看護部長時代からミーティング時には、ホワイトボードを使って現場の様々な課題を概念化し、解決していました。この「概念化する力」は、私の得意なことの1つです。今回の私塾でもホワイトボードを使いながら、生徒さん達が抱えている問題や課題を解決するために指導しています。

おかげ様で毎期、たくさんの方にご参加頂いており、

「自分の生き方、考え方が変わった。」
「苦手な上司や後輩との関係が改善した。」
「心身ともに健康になった。」
「モノの見方が変わり、仕事が楽しくなった。」
「仕事のモヤモヤ感がスッキリして自分の目指すところがわかった。」

などの感想を頂いています。

生徒さんは、北海道から沖縄まで全国各地から参加しています。そして塾内は、上司や部下などの上下関係はなく、完全な「ひら場」です。そのため、お互い普段感じていることや、考えていることを発言しやすい環境です。生徒同士もとても仲良くなるので、塾が終了後も生涯の仲間として、関係が続いています。

 

― その私塾では、マコモを紹介しているようですね。

そうですね。自分自身を整えるアイテムとして、生徒さんたちにマコモを紹介しており、高い評価を頂いています。看護師というと、西洋医学や、薬剤師が処方する薬しか信じないように思われるかもしれませんが、実際はそんなことはないです。マコモとの相性が良ければ、マコモライフになると思いますね。

私自身、4年くらい前にマコモを紹介して頂き、飲むようになってからは常備薬を携帯することはなくなりました。これまでの悩みもなくなり、マコモの生活に充実を感じています。

これからもマコモの生活をしながら、医療業界に様々な形で貢献ができればと思っています。

 

― ありがとうございました。

 

 

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