真菰と仏教について学んだ
こんにちは。安藤です。
真菰はとても歴史のある植物で、仏教の聖地、インドにも生息していたことがわかっています。今回は、小野寺会長から真菰と仏教について教えていただこうと思っています。どうぞ宜しくお願いします。
真菰とお釈迦様について
皆様が現在手にしているマコモは、発明者、小野寺廣志を通じて生まれました。しかし、それ以前にもマコモは存在していたかも知れないと私は考えています。では、誰によって生み出されたのでしょうか? 私は、小野寺廣志よりも前にマコモを世に出したのは、空海(弘法大師)であったと考えています。空海は、平安時代初期の僧侶で、日本で密教(真言密教)を広めた人物です。今日は仏教の歴史から、マコモの世界を紐解いていきたいと思います。
今から2500年ほど前、インドでお釈迦様(仏陀)が誕生します。お釈迦様は、29歳の時に出家し、厳しい修行の末、35歳で悟りをひらきました。その後、お釈迦様は、80歳で生涯を終えるまで、仏道を弟子たちに教え続け、多くの逸話を残しています。
ある時、お釈迦様は、病人に「ある妙薬」を食べさせ、真菰で編んだムシロに寝かせました。すると、病人の具合が良くなったといわれています。そして、その「妙薬」とは、真菰の草を食べた白象の糞から作った妙薬だったと私は考えています。このように、真菰は古来よりお釈迦様と深い関わりを持っております。
その後、仏教は「大乗仏教」や「小乗仏教」など様々な宗派が誕生し、アジア各地に広まりました。その中でも、空海が日本に伝えた「密教」の教えが真菰の世界に近いと私は考えています。
空海の真言密教について
空海は、遣唐使で中国に行き、「恵果(けいか)」という師のもとで「密教」を学び、その後、日本で「真言密教」を開宗しました。そして「真言密教」は、従来の仏教の教えとは異なる教えが共感され、日本各地に広まります。
「真言密教」の教えの大きな特徴に、「即身成仏」があります。「即身成仏」とは、「生きている時に仏の境地にたどり着くことができる」ということです。従来の仏教では、仏の境地にたどり着くには、何度も生まれ変わりを繰り返し、厳しい修行を続けることが必要と説かれていました。しかし、「真言密教」では、仏は自分の外にあるのではなく、自分の中にあると説いています。その仏と一体になった境地を実感するために修行をするのが、空海の「真言密教」なのです。
お釈迦様は、厳しい修行の末、悟りをひらきました。「悟りをひらく」とは、煩悩や悩み、苦しみから解放され、仏の道の真理を会得することです。しかし、空海の「真言密教」は、「悟りをひらく」ことが最終目標ではなく、大日如来(密教の本尊)、すなわち真理と一体となること(仏様と一体となること)を最終目標にしています。
私は、空海の「真言密教」を実践することによって、体内の老廃物が排出されて、生まれた時の状態に戻ると考えています。まさにこれは真菰の浄化作用のようなものです。
実際、マコモの愛用者様からも、「マコモを飲むと、命との同化を感じる」などのお声を頂いています。つまり、マコモは真理の象徴なのかもしれません。
その後、空海は、「十住心論」という書物を作り、人間の心のありようを10段階に分けました。この教えに従って、10段階目である「秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)」を会得すると、「真言密教」の本尊である大日如来(だいにちにょらい)、すなわち真理と一体になれると説いています。
空海とマコモについて
また、空海は、人々のために様々な問題を解決していたことでも有名です。そのひとつに、疫病を妙薬で治したことが伝えられています。その妙薬とは、最初にご紹介した、お釈迦様が作った妙薬と同じものであり、その作り方は、空海が遣唐使の際に日本に持ち帰った、「曼荼羅(まんだら)」の中に書かれていたと私は考えています。
同じ時期に最澄も遣唐使で中国に訪問していますが、「曼荼羅(まんだら)」を得ることができませんでした。それは、最澄は命について概念的に解明しようとしたのに対し、空海は「実践」で解明しようとした為だと私は考えています。
そして、空海の亡き後、その妙薬レシピは、どこかにいってしまったようですが、そこから1000年以上の時を経て、発明者の小野寺廣志が発見してくれました。このように真菰と仏教は、深い関わりがあると思っています。今後もその想いを後世に伝えていくことが大切だと考えています。
今回は、小野寺会長から貴重なお話をいただき、とても勉強になりました。不定期になりますが、小野寺会長のマコモの勉強会は開催しておりますので、ご要望の方は、コチラまでご相談ください。