山伏修行で有名な星野先達の講演会に参加した
こんにちは。安藤です。
本日は、福島県南相馬市で、出羽三山の山伏、星野先達と、「自分の愛し方塾」( https://kumyutakuto.com )を運営している鶴来久美子さんの講演会に参加してきました。
※「先達(せんたつ)」とは、修験道で、山に入って修行を行う際に指導する方(先輩、先生)のこといいます。
東日本を代表する聖地のひとつ出羽三山にて、参拝者のための宿泊施設である宿坊「大聖坊」の十三代目当主を勤めている。山を歩き、滝にも打たれる星野先達の山伏修行は、老若男女問わず、「気づき」を求める人たちに人気があり、近年は海外からの参加者も多く受け入れている。 大聖坊ホームページ http://daishobo.jp/
星野先達は本も出版されています。今日は、ありがたいお話をたくさん聞けそうですね。
会場は、福島県南相馬市の「かしま交流センター」です。とってもキレイな施設です。
いよいよ講演会がスタートです。
私は、「自分の愛し方塾」( https://kumyutakuto.com )を運営していて、これまで様々な受講生とお会いしてきました。そこで最近感じるのが、自分を大切にせず、幸せになることを拒否している人がいっぱいいることです。心地よくないことを自ら選択している人もいるんです。
そういう人は、増えていると思うよ。今の日本人は、感じることの大切さを忘れてしまっているからね。
欧米の文化が入ってくる前は、日本人は「感じる」ことを大切にしていたんだよね。だから、「ここに神様がいる感じがする」と感じた場所に神社を建てていた。そして、元々は神様と仏様は一緒になっていた。だから、日本人は神様からは清らかさを学び、仏様からは慈悲さを学ぶことができた。この清らかさと慈悲さが日本人の原点なんだ。しかし、現代の日本では清らかさも慈悲さもなくなってしまった。これが悔しいね。
昔の日本人は、「祈り」を大切にしていたんだけど、最近は「祈り」をおろそかにしているね。「祈り」といっても、神社やお寺に行くことだけが祈りじゃないよ。「いただきます」や、「ごちそうさま」など、日々の暮らしそのものにある祈りが大切なんだ。でも、それをおろそかにしているんだよね。
確かに、日々の生活の中で「ありがとう」って感じない人も増えていると思います。日々の暮らしの中で感謝することってたくさんあって、そこにフォーカスすれば幸せになれるんですけどね。
もともと日本人は、曖昧性を大切にする民族だった。しかし、明治時代になり、欧米に追いつけ追い越せで、日本は変わってしまったんだよ。白黒をはっきりさせる欧米のように、神仏分離令で神様と仏様を分けてしまったんだ。これにより、祈ることや感じることをおろそかにするようになったんだ。そして、欧米人のように知識を用いて、合理的に頭で考えるようになってしまった。本来、神様や仏様の世界は頭で考えてもわからないのにね。
欧米人は日本人の曖昧さを批判することがよくあるけどね。でも俺は、この曖昧性が日本人の素晴らしいところだと思っているよ。例えば、日本には四季があり、春夏秋冬のはっきりした境目はなく、曖昧になっているよね。今日から夏になります。明日から冬です。なんてことはない。
そして、その四季のある日本で生活するための住宅にも曖昧性がある。伝統的な日本の住宅には、外でもなく、内でもない、「縁側」というものがあった。そして、屋根を見ると悪いものとされている鬼を、鬼瓦として守り神にしていた。日本人はこういう曖昧さが心地よいと感じる民族なんだよ。
そして、神社にも曖昧さがある。古来より、多くの神社は神様を感じる山の中に作られた。鳥居をくぐって、神社まで行く山道は、聖地でも世俗でもない曖昧な場所だ。
一方、欧米人たちは、街の中に教会を作っている。教会の扉を開けたら、そこがいきなり聖地になるわけだ。白黒はっきりさせる欧米人らしい考え方だよね。でも、日本人が欧米人のマネをしたら失敗する。例えば、街並みをあらかじめハッキリさせて作る都市計画は多くが失敗しているのは、これが原因だと思う。
そうですね。多くの日本人が欧米人のマネをしているけど、うまくいかないってことは多いですよね。
欧米人のように考えて、合理的な答えを出すことは、「自分都合」なんだよね。だから相手とうまくいかなくなる。
でも本来、俺たち日本人は、感じたまま、生まれたままの状態でいることが大切なんだ。つまり、瞑想状態になるということだ。瞑想が心地よいのは、生まれた時の頃に戻れるからであり、感じた知性の中で生きて、悟りの世界に入ることができるんだ。
瞑想状態になるには、「水」がポイントになるね。例えば、雨水があふれた山道を歩くと、気持ちよくなり、意識と無意識の境目がなくなる。ここで見えないものが意識化されていくんだ。「水」は私たちを浄化してくれるんだよね。そして、浄化する力は女性の方が優れていると思う。
女性は月経があり、体の水が浄化されていくからね。だから、女性は物事を感じる知性が優れている。でも、男性は月経がないから浄化がない。だから男性の体の水は濁っていくので、感じる知性が弱い。古来から女人禁制とされてる山は多くあり、現在も残っている。でもこれは女性差別ではなく、月経や陣痛の苦しみを経験できない男性が苦しみを求めて山に入るということなんだ。そもそも女性は男性よりも強いから山に入る必要がないんだ。
だから俺は、組織のリーダーは、女性の方がいいと思う。女性は感じる知性が高いので、決断が早いからね。男性のリーダーは、理屈や知識で考えてしまう。だから決断が遅いんだよね。女性がリーダーで、部下に合理的に考える男性がいるのが理想だと思う。
平成から令和の時代になり、求められるリーダーシップも変わってきているということですね。
そうだよね。俺もいい響きだと思ったよ。これはいい世の中になると思った。でも、男性は理屈っぽいので、令和という漢字を見て、その意味を考えてしまうんだよね。でも多くの女性は漢字の意味ではなく、「レイワ」という響きを感じたんじゃないかな。本来、物事は言葉ではなく、音で感じ取らないといけないんだよね。言葉はごまかすことができるけど、音はごまかすことができないからね。
神様は古来から私たちに清らかさを求めてきたからね。そのため、昔の人は、音でお祓いをしていたんだよね。だから音はとても大切なんだ。あとは、植物でもお祓いをしているよね。
そうだね。お祓いをしてくれる植物として、最初に使われたのが真菰なんだよね。真菰は沼地に生息していて、沼の水をキレイにしていた。だから、昔の人は真菰が私たちを清めてくれるのを知っていたんだと思う。だから、真菰は古来から神聖な植物とされている。例えば、神社には鳥居がいくつもあり、鳥居をくぐる度に清められていく。しかし、神社のような建物がない時代は、大木や、大きな岩など自然のものを神様として祭っていたんだ。今でも多くの神社の隣に御神木があるのは、その名残りなんだよ。
しかし、当時は建物だけでなく、鳥居もない時代だ。だから鳥居の代わりに真菰を敷いていたんだよね。こういう背景から、現在も、出雲大社や八幡総本宮など多くの神社で真菰は使われているんだよ。
そういえば、先日の天皇陛下の大嘗祭でも、陛下がお歩きになる時に真菰が敷かれていましたよね。
私も真菰は、これからの時代に必要なものだと思います。だから最近、リバーヴ社のマコモを飲むようになりました。リバーヴ社のマコモは、100年前からあり、マコモの元祖ですからね。
リバーヴ社のマコモは本物のマコモだからね。飲むならリバーヴ社のマコモが一番いいと思うよ。俺は、昔の人も、真菰を飲んでいたんだと思うよ。真菰は神の草だからね。神社で使うだけじゃもったいないよ。
でも、最近は神社でもビニール製のしめ縄が使われることがあるみたいです。
それは良くないね。真菰は浄化するエネルギーがあるから、ビニール製じゃなくて、本物の真菰でしめ縄を作らないとね。そうしないと神社は元気にならないよ。
そうですよね。私は南相馬が元気になるには、まずはこの地域の神社が元気にならないといけないと思っています。私自身も何か力になれればと思い、色々考えているところです。
南相馬が元気になるのに真菰は大切だけど、同じくらい大切なのが「今」を頑張ることだと思うよ。最近、講演会に呼ばれて色々な地域に行くけど、多くの年配の人たちは元気がない。色々と話を聞くと、「先のことを考えるとね・・・」って口々に言う。でもね、本当に大切なのは、先のことではないんだよね。「今、ここにあなたがいることが大事なんじゃないの?」って伝えているんだ。大切なのは今を頑張ることなんだよね。
その考え方、すごいよくわかります。今、この瞬間をどう感じるかって、大切ですよね。今の気持ちが、数時間後や明日の感覚になります。そのため、今この瞬間をネガティブに考えるのではなく、「今感謝できること」を考えることが大切だと思います。そうすることで、この瞬間だけでなく、将来もポジティブに生きることができますからね。
そうだね。概念を持ちすぎると、ネガティブになる。大切なのは、全てを受け入れることだね。そうすれば、誰とも対立しない。まさにこれが、山伏の精神の「うけたもう」なんだよね。この精神を日々、体の中に入れておくと、ポジティブに生きていけるから、皆さんもそうやって欲しいね。
とても充実したトークセッションの後は、マコモの小野寺社長が登壇し、真菰の歴史、真菰の浄化について学びました。充実した内容でした。
以上、とても中身の濃い講演会でした。
星野先達の山伏修行に興味がある方は、コチラまで。